徳島県鳴門市 434.3m
2008.12月19日(金曜日) 晴れ |
---|
久しぶりに天ケ津山に登りました。登り口は県道228号大谷櫛木線の御嶽神社からです。 雑木林に覆われ、山道を歩いているという実感が得られるので、私は好きです。途中知人とも会い 歓談しました。毎日登る人が多く親しまれている山です。上り下り南に面しているので冬でも暖かく、 今回も気持ちよく登ってきました。猟師と猿の民話のある山です。 |
コースは 御嶽神社11:30・・猿の墓12:50・・天ケ津山頂上14:20・・(桜街道)・・猟師の墓13:50・・ 舗装道から下山道14:20・・県道14:50・・御嶽神社15:00(3時間30分)でした。 |
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、
数値地図50000地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)及び数値地図
50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平22業使、第581号)」
この地図を第三者がさらに複製又は使用する場合には、国土地理院の長の承認を得なければなりません
猟師の墓には次の言葉が刻まれています。 |
「昔 大麻山の連峰に猿の大群が棲みそれを支配した大猿(狒狒)は人語を解し霊力を持ちしばしば山麓住民に危害を及ぼしていた。 この事を伝へ聞いた播州(兵庫県)の若い猟師はその大猿を退治し人々の危難を救わんとしたが逆に喰い殺されてしまった。この悲報 が郷里にとどくと弟は悲憤の涙をおさえながら大麻山にわけ入り苦闘の末めでたく兄の仇を討つことができた。生国播州を望むこの丘に 墓を建てる。とき暦応四年(西暦1341年)又狒猿は天ケ津南に墓を建て供養す。この二基の墓は過去には流行病の救ひと云われ信者 が絶えなかった。 茲に世話人相寄り清掃整理して住人の安泰と狩猟の安全を祈願し併せてこの史跡を永久に保存するものである。 昭和五十七年四月 奉讃 猟友会同志一同」 |